東京都健康安全研究センター
食品微生物分野における新たな同定法

1.生物の分類と同定
 生物は、長い進化の過程において異なった表現形質や遺伝形質を有している。「分類学」は、このような生物の形質差異を系統ごとにまとめ、各系統に学名を与えている。分類における最小単位は「種:species」であり、各々の進化系統についてさらに上位の分類として「属:genus」、「科:family」として体系化されている。このような「種」や「属」という概念の中で、生物の個体はさらに「種」の下位概念である「株:strain」という表現も用いられ、その名が汎用されている。例えば、大腸菌の学名はEscherichia coliE. coli )で、腸内細菌科(Enterobacteriaceae )のEscherichiacoli種であり、株としてはK-12株(実験等に広く利用されている代表的な非病原性株)やSakai株(1996年に堺市を中心に分離されたEHEC O157:H7 、代表的な病原性株)のように分類、区別されている(科family→属genus→種species→分離株strain)。
 一方、「同定」は対象となる生物がどの分類群に属するか、どの学名(菌種)と一致するかを選定する作業である。通常、全国の地方衛生研究所や病院等で実施される検査は同定になる。

2.従来の微生物の同定法(表現性状試験)
 従来から行われてきた微生物の同定検査では、まず、試料から対象菌を培地上に発育させて分離する「分離培養」が必要となる。次に分離した菌の培地上での特徴(コロニーの形状等)や各細胞の形態(球状/桿状/らせん状等)、染色性(グラム陽性/ 陰性等)を確認した後、生理・生化学的性状(糖類の分解/ガスの発生、生育可能な温度・pH等)や特異抗体を用いた血清学的性状(血清型)、さらに特定の菌種では化学的性状(菌体の脂肪酸やキノン類の組成等)を詳細に調べる「表現性状試験」を行う。
 表現性状を利用した検査は培養を行いながら実施するため、通常は一定以上の時間(3日程度)を要し、一部の検査では煩雑な作業や高い専門性が求められる場合がある。こうした問題を解決することを目的に、表現性状の差異を簡単に統計学的な手法によって判別する同定キットが開発され、細菌を中心とした微生物の検査に広く利用されている。
 このような検査を経た株(分離株)の一部については、さらにどのような抗生剤に感性あるいは耐性なのか(薬剤感受性)が調べられ、これら個々の薬剤感受性情報も、分離株を識別する性状として活用されている。

3.分子生物学的手法による微生物同定法
 現在、分離株について表現性状のみでは必ずしも同定できない場合が存在している。このような問題に対し、核酸(DNA/RNA)等を利用する分子生物学的な手法が生物の同定に用いられるようになってきた。現在、主に利用されているのは核酸の塩基配列の並びを比較する方法(塩基配列解析法)であり、この手法は遺伝情報の差異を進化系統として解析する「分子系統解析」にも利用されている。現在、塩基配列解析では一般的にはrRNA遺伝子(rDNA)が広く利用され、細菌では16S等、真菌等の真核微生物ではLSU-D1/D2領域やITS領域等が用いられている。
 塩基配列解析法では、対象となる微生物の特定領域の塩基配列を決定し、データベースの登録配列との一致率を比較することにより同定を行っている。この手法は、客観性や再現性の面で優れ、食品微生物同定における強力な解析ツールとなっている。また同定とは異なるが分離株の病原性評価法として、毒素遺伝子等の有無も重要な要素である。毒素産生菌の病原性は各菌株での毒素遺伝子の有無によって大きく変わり、結果によっては分離株の扱いが180度変わる場合もある。
 さらに近年は、次世代シーケンサー(NGS)を使用した微生物の全塩基配列(全ゲノム)を解析する試みがなされている。NGSによる解析では、ゲノム全体の比較により特定の部分塩基配列の比較だけでは難しかった菌株比較や同定、進化系統、感染経路の推定などが行われている。また、菌種は異なるものの、同一のプラスミドを有する事例や、新たなタイプの毒素遺伝子が発見されるなど、既存の方法では解明できなかった事が続々と明らかになり、そのエビデンスがさらに迅速・簡便な検査法確立への突破口にもなってきている。

4.微生物の新たな迅速同定法
 最近、タンパク質等を利用した微生物同定法が臨床由来の細菌分野で用いられるようになってきた。マトリックス支援レーザー脱離イオン化飛行時間型質量分析法(Matrix-assisted laser desorption ionization time of flight mass spectrometry : MALDI-TOF MS)は、微生物のタンパク質を質量分析装置により解析するプロテオーム解析の一種であり、ゲノム解析とは全く異なるアプローチでありながら、既存の塩基配列解析と高い相関が見られる点が特徴である。また、測定時間も1サンプルあたり5分程度と極めて短い。
 MALDI-TOF MSは、2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一博士が開発した技術を基盤とした質量分析計である。本装置は、マトリックスと呼ばれる有機化合物を混合した試料にレーザー光を照射することで試料をイオン化する技術(MALDI)と、イオン化された試料が検出器まで到達する時間を計測する技術(TOF MS)を組み合わせたものである。
 MADI-TOF MSを利用した微生物同定では、分離菌株から得られたマススペクトルパターンをソフトウエアに登録されたライブラリーとパターンマッチングさせることにより、属や種あるいは株の識別を行う。本装置で解析可能なタンパク質の範囲は、2,000~20,000Daである。この範囲では、リボソームタンパク質が最も測定されやすい。リボソームタンパク質は菌体内での発現量が多く、塩基性の成分が大半であることから、質量分析におけるイオン化効率が高いことがその理由である。
 MALDI-TOF MSの同定精度を確認する目的で、臨床由来細菌35株、食品由来細菌42株、臨床由来酵母13株及び食品由来酵母86株について、表現性状を用いた試験法及び塩基配列解析法と比較したところ、全ての株は属レベルで一致した。さらに種まで一致した株は臨床由来細菌では30株(85.7%)、食品由来細菌では33株(78.6%)、酵母では全て(100%)が一致していた。今後、MALDI-TOF MSの食品分野へのさらなる普及、ライブラリーの充実により、同定精度はさらに高まるものと期待される。
 行政における微生物の同定検査では、健康被害や食品苦情への対応など迅速性に加えて正確性が求められる。このため、従来から実施してきた方法にこのような新しい微生物検査法を加え、さらに検討を重ねていくことで、都の保健衛生行政に有益な情報を提供したい。

(食品微生物研究科 上原さとみ)

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