東京都健康安全研究センター
わが国における蚊が媒介する寄生虫症 -ヒトのディロフィラリア症-

1. はじめに

 蚊が媒介しヒトのリンパ管に寄生するフィラリア症として、ヒトを固有宿主とするバンクロフト糸状虫(Wuchereria bancrofti)およびヒト、サル、ネコを終宿主とするマレー糸状虫(Brugia malayi)がよく知られている。わが国においては、かつて九州地域や沖縄地域を中心にバンクロフト糸状虫の感染流行が認められ、また、東京都の八丈小島ではマレー糸状虫への感染が確認されていた。現在では、国内おけるバンクロフト糸状虫およびマレー糸状虫はいずれも根絶され、新たな感染の報告はない。

 一方、今日でも国内感染が報告されるフィラリア症は、ディロフィラリア症という人獣共通の寄生虫症で、主にイヌを終宿主とし、イエカ属、ヤブカ属、アノフェレス属などの蚊を中間宿主とするイヌ糸状虫(Dirofilaria immitis)が主な病原体である。本稿では、蚊が媒介する寄生虫症で、いまだヒトの国内感染例が報告されるディロフィラリア症について、その感染状況や検査法などについて概説する。

 

2. 国内のディロフィラリア症の現状

 D. immitisの成虫は、イヌやネコなどの肺動脈および右心室に寄生し、重度の心不全を引き起こし、感染した個体の突然死の原因となる。一方、ヒトが蚊の刺咬によりD. immitisに感染した場合、固有宿主ではないヒトでは成虫まで発育できず、D. immitisの幼虫が肺に移行した肺ディロフィラリア症、そして皮下、眼、心血管等に移行した肺外ディロフィラリア症といった幼虫移行症の原因となる。はじめて国内で報告された1964年以降、感染例は250例以上で、その約90%が肺ディロフィラリア症であると報告されている1)

 D. immitis以外にも、終宿主であるイヌやネコなどの皮下に寄生し、イエカ属やヤブカ属などの蚊を中間宿主とするDirofilaria repensがよく知られている。ヒトが感染した場合、幼虫移行症として皮下や眼に移行し、紅斑性の皮下結節や視力障害などの原因となるだけでなく、稀にD. repensはヒトの皮下で成虫にまで発育する場合もある。国内におけるヒトのD. repensの感染は、これまで3例の報告2-4) がなされているにすぎないが、南ヨーロッパの地中海地域(例えば、イタリア、スペイン、南フランスなど)においては感染例が多く、イタリアでは298例が報告されている5)。その他、Dirofilaria tenuisDirofilaria ursiのヒトへの感染例もわずかながら報告されている。

 

3. D. immitisおよびD. repensの同定方法

 ヒトのディロフィラリア症の検査は、生検や切開により摘出した組織や虫体からの形態学的検査や遺伝子検査、そして補完的に血清学的検査により行われる6)D. immitisD. repensの形態学的な違いは、成虫の横断面においてクチクラ層の厚みがD. immitisでは10 μm以下であるのに対して、D. repensは16-48 μmと厚いのが特徴である(図1)。また、D. immitisのクチクラ最外層に全長に対して横軸に細かい線状構造が確認できるのに対して、D. repensのクチクラ最外層には、external longitudinal ridge(外部縦走線)という高さ3-4 μmの突起が虫体周囲に100-120の範囲で存在する(図1)。これらの形態的な特徴から、成虫の場合には容易に両者の区別は可能である。しかしながら、ヒトに感染したDirofilaria属線虫の多くは成虫まで成長できないことから、一般には遺伝子検査により種の同定が行われる。現在、Dirofilaria属線虫のITS1-5.8S rRNA領域、ミトコンドリアcox1遺伝子をターゲットとしたPCRとシークエンス解析が精度の高い同定方法である。

 

4. ディロフィラリア症の検査における問題

 D. immitisの幼虫は、ヒトの肺動脈に栓塞し肉芽腫を形成する事が多い。そのため、X線撮影で胸部に異常陰影により肺の肉芽腫が肺癌と誤診され、その後の病理診断で寄生虫感染と判明する場合がある。また、ディロフィラリア症が疑われる検査においても、虫体の摘出時に大きく損傷をともなっている場合や摘出した虫体や組織をホルマリン液に保存していた報告例が少なくないこと、疫学的にD. immitisと比較して他のDirofilaria属線虫への感染例が少ないことなどから、虫体の形態学的な鑑別や遺伝子レベルの解析が行われずに診断が下されることがある。例えば、イタリアのPampiglioneらにより28個体のD. immitisと診断された虫体の組織病理学的な再検討が行われた結果、17個体がD. repensであったという報告7)がなされ、D. repensの感染流行地においてもD. immitisD. repensの鑑別が十分に行われていない状況である。

 

5. 国内における感染リスク

 東京都動物愛護相談センターとの共同調査において、イヌにおけるD. immitisの陽性率は、平成11年度から13年度と比較して平成26年度以降の陽性率が20%以上減少していることが明らかとなり、少なくとも都内におけるヒトへのD. immitisの感染リスクは減少していると考えられる(表1)。また、これまで国内のイヌにおけるD. repensの感染報告例はなく、都内のイヌ・ネコの寄生実態調査においても、検出された虫体がD. immitisであったことから、国内におけるヒトのディロフィラリア症はD. immitisが原因と推定される。しかしながら、前述のように、ヒトの感染例において虫体の保存状態などが原因で十分な検査が行われていない可能性があること、国内における3例のD. repens感染例のうち1例は感染者に海外渡航歴がないことから、D. repensの国内感染を完全に否定できないと考えられる。

 

6. 今後の課題

 近年、香港においてホルマリン固定虫体のITS1-5.8S rRNA領域、cox1遺伝子の配列相同性に基づいた解析により、Dirofilaria sp. “hongkongensis”という新たな遺伝子型が報告された8)。その後、図2に示したように、Dirofilaria属線虫の遺伝子解析例の増加と共に、分子系統樹解析において“hongkongensis”がD. repensと同じクラスターに帰属し、D. repensの遺伝的多型の一つであることが明らかとなった。しかしながら、GenBankに登録されているD. repensの塩基配列データは十分とはいえず、地理的な遺伝的多型性などを検討するためには、さらなるデータの蓄積が必要と思われる。
 
 国内における蚊媒介の人体寄生虫症は、主にD. immitisによるディロフィラリア症であると考えられるが、臨床例における原因寄生虫の遺伝子解析データの蓄積が十分とは言えない。今後、医療機関と共同で遺伝子レベルでの虫体の同定を推進すること、感染源となるイヌ・ネコ等における寄生調査を継続的に実施することが、患者発生時の適切な診断と感染防止につながると考えられる。

 

1) Akao, N., Trop Med Health., 39, 65-71, 2011.
2) MacLean, J.D., et al., Am J Trop Med Hyg., 28, 45-48, 1978.
3) 物部寛子 他, 臨床寄生虫誌, 23, 49-52, 2012.
4) Suzuki, J., et al., Parasite, 22, 2015.
5) Pampiglione, S., et al., Parasitologia., 42, 231-254, 2000.
6) Simon, F. et al., Clin Microbiol Rev., 25, 507-544, 2012.
7) Pampiglione, S., et al., Histopathology, 54, 192-204, 2009.
8) To, K.K., et al., J Clin Microbiol., 50, 3534-3541, 2012.
9) 蓮池陽子 他, 動物愛護相談センター調査研究発表会抄録, 42-46, 2017.

(微生物部 鈴木 淳)

 

表1.イヌ・ネコにおけるDirofilaria immitisの虫寄生状況9) 

 

 

 

図1.Dirofilaria repens (A, C) とDirofilaria immitis (B, D) の形態4)

CL, クチクラ層; ELR, External Longitudinal Ridges (外部縦走線) ;

I, 腸管; ML, 筋層; U, 子宮;

 

 

図2.ミトコンドリアcox1遺伝子の塩基配列に基づいた最尤法による系統樹解析

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